『アイアン』マイク・タイソンが見せた強烈なノックアウト劇ベスト13

Tom Gray

石山修二 Shuji Ishiyama

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ボクシングの歴史の中で、マイク・タイソンほどその存在がノックアウトと同義語にとらえられたボクサーはいないだろう。全盛期には時代の寵児として、世界で最も有名な人物のひとりでもあったタイソンのその危険なほどのパンチ力には、並外れた無敵のオーラが宿っていた。

2度のヘビー級王座に君臨したタイソン(50勝6敗)は、特に最初の王者時代には誰もが認める強さを誇っていた。 44回のノックアウト勝利のうち、24回が第1ラウンドでのKO劇だったという驚異的な記録を残している。ちなみに、現在の代表的なパワーパンチャー、デオンテイ・ワイルダー(アメリカ)の第1ラウンドでのノックアウト勝利は20回を数えている。

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タイソンのパワーについては言うまでもないだろう。だが、彼を王座に導いたのは、その素早いフットワーク、頭の動き、パンチ・スピードだった。タイソンは単なるストリートファイターではなかった。タイソンのスキルレベルとディフェンスは素晴らしく、ホラー映画の悪役のようなその風貌でパンチを繰り出す前から多くの対戦相手に恐怖を与えていた。

では、タイソンがチャンピオン時代、そして元チャンピオン時代に見せた最も強烈なノックアウト劇にはどんなものがあっただろうか。時が経っても、ボクシング・ファンにとって忘れることのできない圧倒的なフィニッシュはどんな試合だったか。

ここでは、マイク・タイソンがそのキャリアの中で見せた、最も強烈な印象を残したノックアウト勝利13試合を、名門『The Ring』誌(リングマガジン)の元編集人で、現本誌格闘技部門副編集長のトム・グレイが振り返る。

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13. クリフォード・エティエンヌ(1R KO)

  • 日時/場所:2003年2月22日/ザ・ピラミッド(米メンフィス州メンフィス) 

当時、最強のヘビー級チャンピオンとして名を馳せたレノックス・ルイスに惨敗したチーム・タイソンに必要だったのは、イージーな試合だった。そこで登場した当て馬がクリフォード『ブラック・ライノ(クロサイ)』エティエンヌである。

殿堂入りする前の最後の試合で元チャンピオンは、1ラウンドにエティエンヌの顎に右ストレートを決めてノックアウトした。わずか49秒での勝利だった。


12. ヘンリー・ティルマン(1R KO)

  • 日時/場所:1990年6月16日/シーザーズ・パレス(米ネバダ州ラスベガス)

日本の東京ドームでバスター・ダグラスに衝撃的な敗戦を喫し、王者から陥落したタイソンは、『地上最凶の男』(The Baddest Man of the Planet)のイメージを再び確立しようとしていた。そして、それにはさほど時間はかからなかった。

ティルマンはオリンピック予選でタイソンに勝利を収めていたが、プロの世界では別の話だった。 第1ラウンドの残り30秒足らずで、タイソンは強烈な右ストレートをテンプルに叩き込んで、ティルマンをノックアウトした。

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11. アレックス・スチュワート(1R TKO)

  • 日時/場所:1990年12月8日/コンベンション・センター(米ニュージャージー州アトランティックシティ)

ヘンリー・ティルマンに圧勝した4か月後、タイソンはまたもや微妙なレベルの対戦相手、アレックス・スチュワートを迎えた調整試合を行った。試合内容は前戦と同じようなものだった。

ヘッドライトに照らされた獲物のウサギとなったスチュワートは、まだゴングの音が鳴り響いている中で、最初のダウンを喫した。その後も強烈なノックダウンを奪われ、3ノックダウンルールにより第1ラウンドでタイソンのTKO勝利となった。

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10. フランソワ・ボタ(5R KO)

  • 日時/場所:1999年1月16日/MGMグランド(米ネバダ州ラスベガス)

タイソンは1997年6月に宿敵イベンダー・ホリフィールドの両耳に噛み付いて以来、リングから遠ざかっていた。ボクシング史の悪しき前例として鮮明に記憶されることになったこの恐ろしい反則行為により、タイソンは失格となった。

ボタは優れた対戦相手として、ブランクのあったタイソンを4ラウンドにわたって苦しめた。しかし、騒々しい南アフリカのファイターは5ラウンド目で油断すると、顎に強烈な右のパンチを受けてダウンした。


Miek Tyson (right) chasing down Tyrell Biggs

Ring Magazine

9. タイレル・ビッグス(7R TKO)

  • 日時/場所:1987年10月16日/コンベンション・センター(米ニュージャージー州アトランティックシティ)

タイソンのノックアウト勝利の多くは早いラウンドに突如訪れた。しかし、ビッグスとの試合では当時統一王者だったタイソンも珍しく手を焼いた。

ビッグスはアマチュア時代にもタイソンを苦しめ、勝利した経験があった。だが、素早いフットワークを持つビッグスは、リングを引きずり回されるように打ち込まれると、激しいボディ攻撃により脚の力を失っていった。そして第7ラウンドに2度の激しいノックダウンを喫して勝敗は決した。


8. カール・ウィリアムス (1R TKO)

  • 日時/場所:1989年7月21日/コンベンション・センター(米ニュージャージー州アトランティックシティ)

ウィリアムスは1985年に当時ヘビー級チャンピオンのラリー・ホームズに僅差で敗れたことから、その名を広く知られるようになった。しかし、ジャブを打つ際に右手を落とすという致命的な欠点があり、タイソンはそれを知っていた。

第1ラウンド開始から1分も経たないうちに、タイソンはジャブをかわすために左に体を滑らせ、強烈な左フックのカウンターパンチを放った。ウィリアムズはそのパンチをまともに受けるとキャンバスに倒れ込んだ。 挑戦者の虚ろな目を見たレフェリーは試合継続不可能と判断し、その時点で試合をストップした。

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7. トニー・タッブス (2R TKO)

  • 日時/場所:1988年3月21日/東京ドーム(日本)

タッブスは元WBA世界ヘビー級王者であり、その太いウェストに騙されがちだが、スピードのあるパンチを持った才能あるボクサーだった。

オハイオ州出身のタッブスは、最初の3分間は素晴らしいボクシングを披露した。だが、12ラウンドは長い。第2ラウンドに入ると、タイソンは得意の右をボディーへ打ち込み、右アッパーとのコンビネーションでポイントを獲得した。さらに左フックをテンプルに決めると、挑戦者はそのままキャンバスに倒れ込んだ。

ちなみにこの試合は東京ドームでの最初のボクシングイベントであり、続く1990年2月のジェームズ・ダグラス戦以降、34年余の間、井上尚弥vsルイス・ネリまでボクシング公式戦のイベントは行われなかった。


6. フランク・ブルーノ(5R TKO)

  • 日時/場所:1989年2月25日/ラスベガス・ヒルトン(米ネバダ州ラスベガス)

開始20秒でダウンを奪われた後、ブルーノは立ち上がると即座に反撃し始めた。イギリスの英雄は、第1ラウンドに強烈な左フックを放ち、タイソンにダメージを与えたが、フィニッシュまで結びつけることはできなかった。

試合が進むにつれ、徐々にタイソンがペースを掴み、最終的には第5ラウンドでボディー・ブロー、アッパー・カット、左フックの連続攻撃で試合を決定づけた。ブルーノはこの試合で網膜剥離を患い、1年以上も試合から遠ざかることになった。


5. フランク・ブルーノ(3R TKO)

  • 日時/場所:1996年3月16日/MGMグランド(米ネバダ州ラスベガス)

前戦から7年経て立場が逆転し、ブルーノがWBC世界ヘビー級チャンピオンとして臨んだこのリマッチでも、結果に変わりはなかった。

タイソンは第1ラウンドから右のパンチでブルーノにダメージを与え、左目近くに整形手術が必要となるほどのカットを負わせた。それでもタイソンは攻撃の手を緩めず、第3ラウンドに強烈な連打を浴びせるとレフェリーは試合をストップした。ブルーノにとって現役最後となったこの試合で、タイソンは2度目の王者に輝いた。

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4. ピンクロン・トーマス(6R TKO)

  • 日時/場所:1987年5月1日/ラスベガス ・ヒルトン(米ネバダ州ラスベガス)

この時期、統一王者となっていたタイソンは、当時、多くの人が最も手強い挑戦者と見なしていたトーマスを標的にした。トーマスはWBCのタイトルを「番狂わせ」と言われた試合でトレバー・バービックに明け渡してはいたが、ティム・ウィザースプーンマイク・ウィーバーには順当に勝利を収めていた。

タイソンは第1ラウンドから全力でトーマスを倒そうと、左右の強烈なフックを繰り出した。それでもトーマスは驚異的に盛り返すと、タイソンを上回る場面も見せた。しかしトーマスのツキもそこまでだった。タイソンは、ヘビー級ボクシング史上に残る強烈なコンビネーションでこの試合をフィニッシュしてみせた。


3. ラリー・ホームズ(4R TKO)

  • 日時/場所:1988年1月22日/コンベンション・センター(米ニュージャージー州アトランティックシティ)

ホームズは48戦無敗を記録した伝説の元チャンピオンだったが、2年近くリングから遠ざかっており、タイソンと対戦したときは38歳になっていた。

そんな老練なホームズにも、絶頂期の『アイアン』マイクを止めることはできず、タイソンは第1ラウンドから容赦なく攻撃を仕掛けた。攻勢に試合を進めたタイソンは、第4ラウンドに強烈な右をホームズのテンプルに決めてダウンを奪った。ホームズは全力で戦い続けようとするも、タイソンはさらに2度のノックダウンを奪って、『イーストンの暗殺者』を葬り去った。


Mike Tyson destroyed Michael Spinks in one round
Getty Images

2. マイケル・スピンクス(1R KO)

  • 日時/場所:1988年6月27日/コンベンション・ホール(米ニュージャージー州アトランティックシティ)

この試合は、1988年の真の世界ヘビー級チャンピオンを決めるものだった。

IBF、WBA、WBCのチャンピオンであるタイソンは、統一王者と見なされていた。しかし、ラリー・ホームズを破ったスピンクスはザ・リング誌のタイトルを保持しており、また「王者を倒してこそ初めて王者と認められる」とする正統王者でもあった。

だが、実際には試合前のイントロダクションの方が試合時間よりも長かった。絶頂期にあったタイソンは、ブルドッグが子犬を追いかけるような激しさでスピンクスに襲いかかった。試合開始から91秒の間に強烈なパンチを数発受けたスピンクスは、最後に強烈な右フックを受けて意識を失った。


1. トレバー・バービック(2R TKO)

  • 日時/場所:1986年11月22日/ラスベガス ・ヒルトン(米ネバダ州ラスベガス)

2ラウンドまでに世界王者を3度ダウンさせ、ボクシング史上最年少のヘビー級チャンピオンになるのは誰にでもできる芸当ではない。

当時20歳だったタイソンは、この試合でトレバー・バービックを破り、フロイド・パターソンの記録を更新すること間違いなしと見られていた。その予想通り、若き挑戦者は第1ラウンドでWBCチャンピオンに何度となくダメージを与えると、第2ラウンドの序盤には相手を大きくグラつかせた。そして第2ラウンドが進むにつれ、タイソンはインサイドに踏み込むとコンパクトな左フックを相手のテンプルに打ち込んだ。

バービックはまるで狙撃されたように倒れこむと、2度にわたって立ち上がろうとするもそれは叶わず、最後はレフェリーのミルズ・レーンの腕の中に倒れ込んだ。新しいチャンピオン、そして伝説の誕生だった。


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原文:Mike Tyson's best knockouts ranked: Top 13 greatest highlight reel KOs by 'Iron Mike'
翻訳・編集:石山修二(スポーティングニュース日本版)

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Tom Gray joined The Sporting News in 2022 after over a decade at Ring Magazine where he served as managing editor. Tom retains his position on The Ring ratings panel and is a full member of the Boxing Writers Association of America.

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スポーティングニュース日本版アシスタントエディター