【独占インタビュー】ジョーイ・クロフォード/元NBAレフェリー「すべての時間がとても大好きだった」(青木崇)

青木崇 Takashi Aoki

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ジョーイ・クロフォードと初めて会ったのは、1999—2000シーズンの序盤のことだった。紹介してくれたのは、夏にプエルトリコで行なわれていたFIBAアメリカ選手権開催中に知り合ったテッド・バーンハート(元NBAレフェリー)。彼が、「デトロイトで試合を吹くから、ホテルに来られるなら会える」というので、当時ミシガン州大学の学生でNBAレフェリーになることを目指していた上田篤拓(現日本バスケットボール協会審判部)を連れて、バーンハードが宿泊するホテルのレストランに足を運ぶと、そこにクロフォードがいた。上田をバーンハートと会わせることだけでも意味があると思って足を運んだのだが、そこに図らずもトップレフェリーのクロフォードがいたことに衝撃を受けたことを鮮明に覚えている。

その会合の話題の中心は上田だったが、筆者もゲームに関するいくつかの質問をすると、クロフォードは紙に図を書きながら丁寧に説明してくれた。それが、ゲームへの理解度を高める助けになったのは言うまでもない。また、上田はこれをきっかけに、NBAレフェリーたちとの関係を構築していったのだった。

以来、デトロイト・ピストンズの本拠地だった“ザ・パレス”の試合にクロフォードが来ると、試合直前に目を合わせる形で挨拶するのが恒例行事となっていた。だが、NBAではレフェリーへの取材は基本的にできない。そんな経緯もあり、ほぼ20年ぶりにゆっくり話をする機会に恵まれた今回の第11回バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ・アジア(※8月14~17日に東京でNBAとFIBAが共同開催した高校生世代向けのアジアキャンプ)で、39年間に及ぶ彼のキャリアについて、時間が許す限り話をしてもらった。

Joey Crawford NBA Referee

どんな試合でもひとつのゲームとして取り扱う必要がある

――2015-16シーズン限りでNBAレフェリーから引退しましたが、現在はどんな生活を送っているのですか?

ジョーイ・クロフォード(以下JC): いい人生を送っているよ。NBAは私にレフェリー育成の仕事を与えてくれたからね。NBAだけでなく、Gリーグ、WNBA、FIBAのレフェリーに対してもやっているから、すごく忙しい日々を過ごしている。でも、いい人生だよ。

――39年間という素晴らしいキャリアを送りましたが、NBAでレフェリーを務めることへの強い愛着を持ち続けられた最大の理由は何ですか?

JC: NBAが世界で最高のバスケットボールリーグであるのは明らかだ。2人の同僚とコートに出て、仕事を成し遂げることができ、しかもそれを毎晩のようにできることは、私のような試合のレフェリーを務めることが大好きな人間にとって最高だった。素晴らしいキャリアと人生を送れている私は、本当にラッキーな人間だと思う。

――長いキャリアの中でも、これがベストと思えた瞬間はありましたか?

JC: それはとてもいい質問だね。レフェリーも選手同様、NBAファイナルまで行きたいものだ。私にとって最初のファイナルは1986年(ボストン・セルティックス対ヒューストン・ロケッツ)だった。そこにたどり着いたとき、すごくハッピーな瞬間だったことをはっきり覚えている。その後は毎年ファイナルに戻りたいと思ってやってきたけど、初めてのファイナルはまさに「Wow!!」という感じだった。1977年にNBAのレフェリーとなり、1986年に初めてファイナルを担当したことは、私のバスケットボール人生における最高の瞬間だったと思う。

――最終的にファイナルで50試合も笛を吹いたんですよね?

JC: そう、50試合だ。今振り返ってみると、多くの人たちが“すごい偉業だよね”と言ってくれる。私自身もそう思えるし、ファイナルという舞台だけでなく、エキシビションであってもレギュラーシーズンの試合であっても、レフェリーをやっているすべての時間がとても大好きだった。

――ファイナルのゲーム7を担当するというのは、どんな心境になるものなのですか?

JC: ゲーム7を3度やったね。やらなければならないことが何かと言えば、できる限り冷静さを維持し続けることさ。しかし、これ以上の試合はないわけだから、何らかの影響があるかもしれないのもわかる。とにかく、ゲームを台無しにするようなことはしたくないと思っていたよ。でも、やるべき仕事をしっかりやらなければならない。本当にそうだと私は常に言ってきたけど、だれも信じてくれないんだよね。

つまり、どんな試合でもひとつのゲームとして取り扱う必要があるということだ。ゲームにどう臨まなければいけないかと言えば、(シーズン序盤の)11月の試合でも同じようにコールしなければならないということだ。ファイナルとレギュラーシーズンが違うのはわかる。でも、我々が試合で成し遂げようとしているのは、今話したようなことなんだ。

ゲームを提供することこそがレフェリーの役割

――NBAのレフェリーになるために最も大事なことは何でしょうか?

JC: 個人的な意見を言わせてもらえば、ルールをきちんと理解していることと、いいコールをしっかりできることだ。私の弱点はゲームマネージメントだった。あとは冷静さを失わないことや感情をコントールし続けること。これら3つのことを一貫してできれば、いいキャリアを過ごせることになるだろう。もちろん、やって当たり前のことなんだけどね。

――2007年の一件(※ベンチで笑っていたサンアントニオ・スパーズのティム・ダンカンを退場させたことによる出場停止)で、レフェリーのキャリアが終わるかもしれない状況になりました。しかし、そこからカムバックしただけでなく、さらに10年間レフェリーとして素晴らしい仕事をしました。あの厳しい事態をどう乗り越えたのですか?

JC: 私は助けてもらったのさ。NBAの指示に従ってスポーツ心理学者を訪問し、どうして自分が短気になってしまうのかについて話をした。そこでわかったのは、“決して生きるか死ぬかの問題じゃない”ということだ。30年間、レフェリーの仕事を“生か死か”というアプローチで臨んできた。もちろん、最後の10年間も真剣に取り組んでいたよ。誤解しないで欲しいのだけど、私は怒りを抑え込む術を手にしたんだ。それが苦難を乗り越えるのに大きく貢献したんだ。

振り返ってみると、レフェリーになって1~2年目の頃、同じ仕事をしている人ともっと話ができていたら、という思いはある。いろいろなことに直面したけど、なにはともあれ、最後はハッピーな終わり方だった。いいキャリアを過ごせたのは、もちろんさ。

――あなたの経験は、他のレフェリーの助けになるわけですね?

JC: そうだね。今の仕事をしているのは、私がレフェリーに夢中になっていることと、NBA、Gリーグ、WNBAのレフェリーたちの助けになれることを意味する。私は今日本にいて、FIBAの人たちと一緒に仕事をしているけど、ここには若くてすごく有能なレフェリーたちがいる。彼らにちょっと助言をしたり、レベルアップに必要なことを教えている。私の経験や知識をシェアできるのは、本当に素晴らしい経験だよ。

Joey Crawford Former NBA Referee 上田篤拓 Atsuhiro Ueda
BWBアジア2019の会場で現日本バスケットボール協会審判部の上田篤拓氏と。

――一番好きだったアリーナはどこですか?

JC: 私が好きだったのはインディアナだね。

――(バンカーズ・ライフ)フィールドハウスですか?

JC: そうだ。あそこは素晴らしいアリーナだし、雰囲気のすべてをエンジョイすることができた。ファンも最高だった。インディアナポリスは仕事をする場所として素晴らしかったね。

――最後の質問になりますが、NBAのゲームにおけるレフェリーの役割とは何ですか?

JC: NBAレフェリーの役割はゲームを提供すること。改めて言うけど、私はキャリアの序盤からゲームを提供しなければなかったけど、それができなかった。バスケットボールのゲームというものは、だれよりも大きな存在なんだ。キャリアを積み重ねるうちに、自分の仕事は、人々を怒らせたり、テクニカルファウルをコールしたり、退場させるたりすることではなく、ゲームを提供することであるということを学んだ。それは、ゲームとレフェリーの質を高めることを意味する。ゲームを提供することこそが、レフェリーの役割なんだ。

青木崇 Takashi Aoki

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バスケットボールライター