交渉が決裂し続けた桜庭 vs 田村大晦日対決…思い出の年末格闘技|『RIZIN.40』特集

堀江ガンツ Gantz Horie

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日本の大晦日といえばやはり紅白歌合戦だが、その裏番組として大型格闘技イベントがセットでイメージされるようになって久しい。

2000年代初頭に始まった大晦日格闘技イベントの歴史だが、実現が望まれ続けた桜庭和志と田村潔司の宿命対決の顛末を軸に、プロ格闘技ライターのガンツ堀江さんが振り返る。

(画像は1997年にUFCジャパンヘビー級トーナメントを制した当時の桜庭和志。2000年代初頭の大晦日格闘技の顔役となっていく)

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大晦日格闘技の熱望カードといえば「桜庭 vs. 田村」

今年、6.19東京ドームで行われた『THE MATCH 2022』で、一時は実現不可能と言われた那須川天心 vs. 武尊の一戦を実現させたRIZINの榊原信行CEO。事実上の前身団体であるPRIDE時代も小川直也 vs. 吉田秀彦の“禁断の柔道王対決”をはじめ、数々の夢のカードを実現させてきたが、PRIDE時代にどうしても実現させることのできなかった試合があった。それが桜庭和志と田村潔司の一戦だ。

田村と桜庭は、もともと1991年に旗揚げしたUWFインターナショナルの先輩後輩の関係。田村は、96年に前田日明が主宰するリングスに移籍しエースとして活躍。桜庭は、Uインター解散後は後継団体キングダムを経てPRIDEに黎明期から参戦。当時「最強一族」の名をほしいままにしたグレイシー一族を次々と下し、“グレイシー・ハンター”として格闘技界の英雄となった。

桜庭和志は、2000年のPRIDE5.1東京ドーム大会でホイス・グレイシーと90分にわたる死闘を制したことで知られるが、田村潔司もその約2か月前、リングスの2.26日本武道館大会でヘンゾ・グレイシーに勝利している。そんな格闘技界の2大スターだった両者だが、Uインター時代から確執があることでも知られていた。その関係は当時、日本人対決を好まなかった桜庭が、田村に対してだけは唯一「素手で顔面を殴れる」と言っていたほどだ。

因縁がある2大スターが、リング上で雌雄を決する。じつにPRIDEらしいビッグカードだったが、元同門の先輩後輩という濃密な人間関係が絡むため交渉は毎回難航。2000年代前半は、桜庭 vs. 田村実現のための交渉が半ば恒例化していたが、舞台裏で最も紆余曲折あったのが2003年の大晦日だった。

2003年の大晦日といえば、2000年代格闘技ブームのピークであり、同時にバブル崩壊の引き金にもなった日だ。それまで2001年、2002年の大晦日は、当時の2大団体であるPRIDEとK-1が協力して『INOKIBOM-BA-YE』を開催。TBS地上波で全国放送され、NHK『紅白歌合戦』の裏で二桁の視聴率を獲得するなど、大成功を収めていた。

しかし、2003年春にPRIDEとK-1は袂を分かち、大晦日もK-1がTBSで『Dynamite!!』(大阪ドーム)を単独開催。一方でPRIDEは、フジテレビ『INOKIBOM-BA-YE』を開催する方向で進めていたが、大晦日まで2か月を切った11月11日、アントニオ猪木らが日本テレビで記者会見を行い、大晦日に『イノキボンバイエ2003~馬鹿になれ夢をもて~』の開催を発表。これを受け、PRIDEも単独でフジテレビと『PRIDE SPECIAL男祭り2003』を開催すると発表した。

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望まれながらも決裂し続けた宿命対決

こうして大晦日に地上波3局でそれぞれ格闘技イベントが開催される異常事態となったが、当初劣勢を強いられたのがPRIDEだった。K-1『Dynamite!!』が元横綱の曙とボブ・サップの試合を発表し一般層の話題を独占し、『イノキボンバイエ』もミルコ・クロコップvs高山善廣というビッグカードを早々に発表(のちに中止)となるなか、PRIDEは11月9日に東京ドームでビッグイベントを開催したばかりであり、当初は単独での大晦日興行を予定していなかったため、目玉カードが用意できていなかったのだ。
それでもフジテレビで長時間放送されるだけにビッグカードを用意しなければならない。追い詰められたPRIDEが切り札として実現に動いたのが、桜庭和志vs田村潔司だった。

桜庭はこの一戦のオファーを快諾。『Dynamite!!』と『イノキボンバイエ』が攻勢をかけるなか、「話題的に押されているから」という理由で、PRIDEのために田村と闘うことを決断したのだ。しかし、一方の田村はなかなか首を縦に振らなかった。田村のなかで桜庭戦は特別なものであり、自身のキャリアを決定づけるような試合。単に大晦日の話題作りのために闘いたくないというのが、その主な理由だった。

榊原CEOはそれでもなんとか話を進めようと、あるときはバースデーケーキを持参して田村の誕生日(12月17日)を祝いながら交渉。またあるときは、交渉を避けようとする田村をつかまえるべく、スタッフが朝5時から田村のジムも前に張り付いていたが、練習後にジムの裏口から脱出されて空振りにおわることもあった。

そしてタイムリミットが迫るなか、PRIDE側は最終手段として桜庭と田村のタッグマッチを提案したという。タッグマッチといってもプロレスの試合をやるわけではなく、あくまで総合格闘技。それまでも格闘技界ではグラップリングルールも含めて何度かタッグマッチが行われたことがあったので、そこまで突飛な提案ではない。またタッグマッチならば、来るべき一騎討ちに期待をつなぐ“予告編”的な意味合いにもなり、ましてや大晦日という“お祭り”ならば、話題性重視のカードがあってもいいのではないかと思われた。

この「タッグ対決」という妥協案に田村はついにOKの返事を出したという。これにて決定かと思われたが、今度は桜庭から「NO」の返答がかえってきた。PRIDEは、ファイター同士が己のプライドを賭けて闘うリング。桜庭はその決闘場を自らの闘いで作ってきた誇りがあり、PRIDEのコンセプトに反する形式を良しとしなかったのだ。

こうしてこの年、桜庭和志 vs. 田村潔司は暗礁に乗り上げた。それでも桜庭の出場だけは決まっており、PRIDE側が提案した代替の選手はふたり。それは元PRIDEヘビー級王者アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラの双子の弟で、のちのUFCライトヘビー級トップコンテンダーのホジェリオ・ノゲイラ。もう一人が、メキシコのベテラン覆面プロレスラー、エル・ソラールだった。

じつはソラールは、PRIDEの常連でもあった身長230cmの大巨人ジャイアント・シルバとマネージャーが同じであり、2002年にはDEEPで鈴木みのると総合格闘技ルールで対戦している。その時、ソラールの度重なる金的攻撃が原因で、セコンドのパンクラス勢とメキシコのルチャドール軍団による大乱闘に発展するなど、一応の話題性もあっため、大晦日の出場選手候補としてリストアップされていたのだ。

桜庭に代替選手が提案されたのは大晦日決戦の約1週間前。準備期間があまりにも短く、『PRIDE男祭り』では吉田秀彦 vs. ホイス・グレイシーなどほかのビッグカードも決まっていたので、これまで厳しいマッチメイク続きだった桜庭は、大晦日らしい“お祭りカード”でいいのではないかと思われた。ソラール戦があまりにも唐突なら、桜庭が伝説のホイス・グレイシー戦の入場で被った“サクマシン”のマスクを被り、「ソラールとマスクマン対決はどうか?」と提案もされたそうだ。

準備期間が短いなか、体格差がある超実力派のホジェリオとシビアな試合を選ぶか、それともサクマシン vs. ソラールのマスクマン対決というお祭りカードを選ぶか。判断は桜庭本人に委ねられた。そして桜庭が選んだのが、ホジェリオとの対戦だった。桜庭は己のプライドに従い、シビアな闘いを自ら選んだのだ。

結局、桜庭 vs. ホジェリオは『PRIDE男祭り』のメインイベントで組まれ、激闘の末、桜庭は判定で敗れた。しかし、桜庭の決断は、曙 vs. サップでお祭り騒ぎだった『Dynamite!!』や、ゴタゴタ続きの『イノキボンバイエ2003』に対し、PRIDEがあくまで「シビアな格闘技を追求する」という姿勢を明確にする結果となった。桜庭の闘いに対する姿勢こそが、PRIDEそのものだったのだ。

その後、桜庭は2008年大晦日に『Dynamite!!』のリングで田村潔司戦が実現するまで、ほぼ毎年大晦日の目玉として闘い続けた。今年の『RIZIN.40』で格闘技の大晦日興行は21年目を迎える。それは桜庭ら先人が闘いを紡いできた結果でもあるのだ。


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栃木県出身。プロレス・格闘技ライター。『紙のプロレスRADICAL』編集部を経て、2010年からフリーランスで活動。『KAMINOGE』を主戦場に『Number』『週刊プレイボーイ』『BUBKA』『昭和40年男』など、多くの媒体で執筆。『Number Web』ではコラムを連載中。主な著作に『闘魂と王道 昭和プロレスの16年戦争』(ワニブックス)がある。WOWOW『UFC-究極格闘技-』などテレビ解説も務める。