創設65年目、ついにメジャーリーガーを輩出した高校野球部の物語【中編】

Ryan Fagan

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ネイト・オーフ(左)とブレット・グレイブス(右)

ネイト・オーフのメジャーリーグへの道のりは長く、曲がりくねったものだった。彼はイリノイ大学からベイラー大学に転校したが、4年生のシーズン終了後もドラフト指名されなかった。彼は500ドルの契約金でブルワーズと契約した。オーフはルーキーリーグで1年、ハイシングルAで1年、ダブルAで1年半、そしてトリプルAで約300試合プレーした後、ようやくメジャーリーグに辿り着いた。

「あの日、僕は絶好調だった。2本のホームランと二塁打、それからシングルヒットを放って良い気分だった」とオーフは言った。

「ロッカールームに戻ると、何かが変わっていた。ああいう日には、見えない何かを感じるものだ。それから監督が来て、僕がメジャーリーグに行くことを告げた。それは長年待ち侘びていた、夢が叶った瞬間だった。当時のチームメイトたちと一緒にいたことが、その瞬間をより特別なものにした。彼らと共に喜びを分かち合った」。

メジャーリーグで最初の試合、彼は延長10回に先頭打者として出塁した。トニー・パーキンスにとっては見覚えのある方法、そう、死球での出塁だった。オーフはメジャーで21打数2安打という成績を残した後、トリプルAに降格してしまった。しかし2安打のうちの1本は、ミネソタ・ツインズのオールスター投手ホセ・べリオスから放ったホームランだった。

オーフより3学年下のブレット・グレイブスは、ハウエル高校のスタークォーターバックでもあった。彼が4年生のフットボールシーズン最後の試合で負けた直後、こんなことがあった。

「皆の怒りやら何やらが渦巻いている中で、僕はパーキンスを見て『さて、今からベースボールのシーズンだ』と思ったんだ」とグレイブスは言った。

「彼のところに行くと、彼は僕にハグをした。僕は『コーチ、州で優勝しよう。リングを手に入れよう』と言ったよ」。

その時点で、グレイブスは野球のダイヤモンドでもスターだった。当時の4年生のうち10人が、大学野球に進んだ。彼らは2年生の時点で、トップリーグレベルに到達していた。マウンドに上がらないときはショートを守っていたグレイブスは2年生の頃、投手よりも打者として優れていた。打率.444に対し、防御率は4.36だった。そのシーズン、ハウエル高校は16勝14敗だった。しかし彼は3年生のシーズン、打席では打率.477、40得点、26打点、19盗塁をマークした一方で、マウンドでも防御率1.76と活躍し、ハウエル高校は23勝を挙げた。

しかし、グレイブスが4年生になった年の4月1日、パーキンスはハウエル高校史上2度目の州制覇の夢が潰えたかと思った。

「私は球場にいて、ブレットが松葉杖で歩いてきたのです」とパーキンスは振り返る。

「私は『ああ、シーズンが終わった。彼は私のチームに不可欠な選手なのに』と思いました。しかし、それはエイプリルフールのジョークでした。自分の胃が落ちるような感覚を知っていますか? あの瞬間は、まさにそれでした」

グレイブスは笑った。

「ただ彼をびっくりさせようと思って、松葉杖をついて歩いてみたんだ。それから『冗談ですよ』と言った。そんなに長く騙すつもりはない。それはあまりに残酷だ」と彼は言った。

「ちょっとばかりトニー(パーキンス)を驚かせたいと思ったんだ。彼を騙すのはそんなに難しくない。すぐ真に受けるんだ」

バイキングスは晴れて州で優勝し、グレイブスとパーキンスがフットボール場で誓った優勝リングを手に入れた。32勝3敗という成績だった。グレイブスは打率.411、6本塁打、35打点、40得点、12盗塁を記録し、投手としては防御率1.95。彼はミズーリ州のゲータレード・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。

「あの年は今も思い出すと震える」とパーキンスは言った。

「ブレットと彼の仲間たちは、私が忘れることのない思い出を作ってくれたのです」。

後編へ続く)

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Ryan Fagan

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Ryan Fagan, the national MLB writer for The Sporting News, has been a Baseball Hall of Fame voter since 2016. He also dabbles in college hoops and other sports. And, yeah, he has way too many junk wax baseball cards.