【球史に残る、夏の甲子園決勝】2006年大会、駒大苫小牧 vs. 早稲田実業

菅谷齊

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深紅の大優勝旗を争う決勝のなかで、2006年(第88回)の早稲田実業-駒大苫小牧は球史に残る名勝負だった。延長引き分け、再試合の熱闘、激闘。いくつものドラマが潜んだ一戦を振り返る。

夏3連覇を目指す「北の大地」の駒苫と「都会の挑戦者」早実。駒苫は21世紀に台頭し、2003年から南北海道代表として5年連続出場。03年夏の大会では倉敷工との初戦で、序盤で8-0としたものの台風の影響で4回裏降雨ノーゲーム。再試合で敗れるという不運をはね除けて黄金時代を築いた。早実は1915年の第1回大会から東京代表で出場。1922年から7年連続出場の実績も持つ伝統校。10年ぶりの代表となり「古豪vs新興」の対決で、その象徴が斎藤佑樹vs田中将大だった。

決勝再試合は早実を駒苫が追う展開となった。

  チーム名 1 2 3 4 5 6 7 8 9
  駒大苫小牧 0 0 0 0 0 1 0 0 2 3
  早稲田実業 1 1 0 0 0 1 1 0 X 4

駒苫: 菊池、田中 - 小林
早実: 斎藤 - 白川
▽本塁打= 三谷、中沢②

早実は序盤に2点、中盤と終盤にも得点し、最後まで主導権を握った。その余裕が9回に2点本塁打を打たれても焦ることなく締めくくった。斎藤は「最後は3つアウト取ればいいと思っていた」。逆に、駒大の田中は先制点を奪われた直後の1回途中登板で斎藤に後れを取った形となった。その分、自分のペースに乗り切れなかったと見えた。

緊迫したのは延長引き分けの試合(15回1-1)である。得点は両校とも8回で、先攻駒大が本塁打すると、早実は長打と犠飛で追いついた。11回、駒大は安打と四死球で満塁としたが、スクイズを外されて無得点。一方の早実も13回二死三塁から2敬遠での満塁は次打者が内野ゴロに倒れた。ともに満塁の大ピンチをしのいだ。

実は11回の“スクイズ外し”こそ、早実の執念と研究の成果で優勝要因の核だった。斎藤は三塁走者のスタートを見てスライダーを意識的にワンバウンドさせ、空振りにした会心の1球なのだ。前年の明治神宮大会の駒大戦で3-5と力負けしたのだが、明暗を分けた原因にスライダーのワンバウンドを早実・白川英聖捕手が捕れない守備を指摘された。白川はそれからマシンを相手に1日100~150球もワンバウンド捕球を練習し、体はアザだらけに。「涙が出るほど練習した」結果が、ここぞという場面で成功したのだった。究極のピンチ脱出策といえた。

さらに斎藤は延長15回引き分け、再試合をこの年の春センバツ大会の関西(岡山)戦で経験していた。7-7の後の再試合で4-3。最初の試合は9回裏無死満塁で三塁打を打たれ追いつかれ、さらに無死三塁のピンチを連続敬遠で塁を埋め、後続を投ゴロ併殺などで切り抜けている。2日間24イニングを投げた斎藤は駒大戦を振り返って「延長も再試合も余裕があった」という。体験を生かしたところに非凡さがうかがえた。

田中将大、駒大苫小牧、投手

3連覇を逃した駒大は悲壮な思いで甲子園に乗り込んでいた。明治神宮大会で優勝し「神宮枠」で翌年のセンバツに出場が内定していたのだが、部員の不祥事で出場辞退。それだけに夏にかける意気込みは汚名返上、名誉挽回を背負い、執念の決勝進出だった。

満塁対策がポイントになった対決は早実が優勝。最後は斎藤の外角速球を田中の空振り三振で終わった。前出の早実・白川捕手によると「斎藤の内角球は速い。田中は内角速球に強い。それで外角勝負にした」そうである。戦い終わった後、斎藤は「最後に三振を取り、田中に勝ったと実感した」と言い、田中は「やりきった気持ち。でも最後の最後に負けて悔しい……」

早実の和泉実監督は「斎藤は各校の中心打者をほとんど抑えていた」と振り返り、駒大の香田誉士史監督は田中について「エースとしての強さがあった」と将来の成功を予言した。

この決戦をテレビで見た一人の野球少年が「野球に専念」を決意している。斎藤の後輩、清宮幸太郎である。「感動しました。僕も甲子園に行きたい」と。小学校時代は父親がラグビー監督の関係で野球とラグビーを併用。高校で通算111本塁打を放ち、プロ球界の明日を背負う大器として期待されている。その影響力を含め、やはり、早実―駒大の一戦は甲子園を舞台にした球史に残る試合だったといえるだろう。

清宮幸太郎、早稲田実業、野手

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菅谷齊

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菅谷齊(すがや・ひとし)1943年、東京・港区生まれ、法大卒。共同通信で巨人、阪神、大リーグなどを担当。1984年ロサンゼルス五輪特派員。スポーツデータ部長、編集委員。野球殿堂選考代表幹事を務め三井ゴールデングラブ賞設立に尽力。大沢啓二理事長時代の社団・法人野球振興会(プロ野球OBクラブ)事務局長。ビジネススクールのマスコミ講師などを歴任。法政二高が甲子園夏春連覇した時の野球部員。同期に元巨人の柴田勲、後輩に日本人初の大リーガー村上雅則ら。現在は共同通信社友、日本記者クラブ会員、東京プロ野球記者OBクラブ会長。著書「日本プロ野球の歴史」(大修館、B5版、410ページ)が2023年度ミズノスポーツライター優秀賞を受賞。